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2012年10月25日

野宮神社で斎宮行列



 「斎宮(斎王)」とは、天皇が新たに即位 するごとに、天照大神の御杖代(みつえしろ)と して伊勢神宮に遣わされた斎王(未婚の内親王もしくは女王)のこと。
 斎王が任命を受け、都から伊勢の斎宮へと向う「斎王群行」は、斎王以下監送使、官人・女官などあわせて数百人にも及びました。艶やかな衣装に身を包んだ人々が、当時の様子を再現して、嵐山を練り歩きました。(小丸)  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 17:19Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2012年10月10日

祇園祭の先駆け・粟田祭



 粟田祭(粟田神社大祭)

 粟田神社の主祭神は、スサノオノミコト・オオナムチノミコトです。古来より厄除け・病除けの神と崇敬されています。
 京都の東の出入口である粟田口に鎮座するので、東山道・東海道を行き来する人々が道中の無事を感謝して参拝したことから、いつしか旅立ち守護・旅行安全の神として知られるようになりました。
 粟田祭は粟田神社で10月に行われる祭礼行事です。一千年の歴史を持ち、祭には神輿に先行して剣鉾が巡行します。剣鉾は祇園祭の山鉾の原形と云われており、 室町時代には祇園会が行われない際は粟田祭をもって御霊会としたと伝えられています。
 一説には奈良朝より活躍した粟田氏の氏神として創建された社とも云いいます。
 体育の日前日の「出御祭(おいでまつり)」「夜渡り神事」、体育の日の「神幸祭(しんこうさい)」「還幸祭」、そして15日の「例大祭」までの神事・行事を総称して粟田祭(粟田神社大祭)と呼んでいます。



 粟田大燈呂
 平成20年の夜渡り神事に「粟田大燈呂」が復興しました。この大燈呂とは文字通り大きな灯篭の山車のこと。戦国の世に公卿の山科言継卿が書き綴った『言継卿記』には、「粟田口の風流が吉田へ罷り向かうということを聞きましたので、夕方に吉田へ罷り向かいました。大きな灯呂が二十あり、その大きさはおよそ二間(3.6メートル)四方もあり、前代未聞のことで大変驚いた」(訳粟田神社)とあります。
 この灯篭の出し物がどのようなものであったかは分かりませんが、京都造形芸術大学の協力もあり、時代に則した形で復興することになったといいます。



 神幸祭
 神幸祭とは神様が氏子区域を巡行され、氏子にお力をお与えになる神事です。神幸祭には、剣鉾が鉾差しによって五〜六基差され、神輿が氏子町内を渡御しています。
 剣鉾とは祭礼の神輿渡御の先導を勤め、神様のお渡りになる道筋を祓い清め、悪霊を鎮める祭具です。剣先は真鍮の鋼で造られ、額には御神号や神社名・年号などが記されています。
 氏子区域には現在18基計44本の剣鉾があり、京都で最も多くの剣鉾が備えられています。剣鉾は講中(鉾仲間)又は町中(鉾町)で守護されており、現在もその形式は変らなく守られています。

  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 22:07Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2012年09月25日

お酒大好き、びんずる尊者と走る大黒天

 9月の史跡勉強会は、洛西の名刹めぐりとなりました。京都の紅葉の名所としても有名です。観光タクシーがお勧めですよ。
 お寺でよく見かける賓頭盧尊者(びんずる尊者・おびんずるさま)は、いつも赤い顔をして本堂の外陣に坐しておられるます。体の悪いところをなでると治してくれる 「なで仏」さまとしても有名です。
 お釈迦様の弟子で、特に優れた代表的な16人の弟子を十六羅漢といいますが、びんずる尊者は実は、その十六羅漢の一人に数えられる偉いお坊様です。博識であり慈悲深く十善を尊重し、阿羅漢となって神通力を得ました。白髪で長い眉であったといわれます。彼の説法は、他者の異論や反論を許さずライオンのようであり、獅子吼第一といわれたほどでした。..
 ところが、なぜか内陣にいれてもらえずいつも外に安置されています。これには実はわけがあります。
お酒には目がなくて大の酒好きでした。お釈迦様に内緒でちびちびやっていたんですね。お釈迦さまにたしなめられて、「禁酒」の約束をするのですが、厳しい行の後、我慢の限界だったのかお酒に手を出してしまいます。



 約束を破ったびんずる尊者は、遠くへ放り出されてしまいます。その後、びんずる尊者は反省をして黙々と修行に励んだといいます。びんずる尊者の改心を知ったお釈迦様は、せめて本堂の外陣でならと、再びお釈迦様の元で修業を積むことを許されました。
別の話としては、神通力を見せびらかしたとして涅槃にはいることを許されなかったとも言われます。
 西行桜で知られる洛西の勝持寺の本堂の前にも、坐しておられます。

 洛西のもうひとつの名刹、正法寺本堂の奥、宝生殿には、大きな走り大黒天が奉られています。なんとも愛嬌のあるお顔立ちが素敵です。
「走り大黒天」は、一刻でも早く私達に福を授けようと、走っている大黒様という珍しい姿をしています。

  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 13:57Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2012年07月11日

神輿洗い



 祇園祭の最中の7月10日と28日には、神輿洗いが行われます。この神事は、祇園祭の神幸祭と還幸祭の、神輿を鴨川の水で清める行事です。神輿は京都市内を練り歩きます。
 八坂神社(昔の祗園社)の3基の神輿のうち、神輿洗いされるのは、素戔嗚尊を祭る中御座で、代表して午前中に汲み上げられた神事用水で清められます。
 大たいまつが八坂神社と四条大橋の間を往復して清めた後に、白い法被姿の氏子らが「ほいっと、ほいっと」と掛け声をあげながら四条大橋まで神輿を担ぎます。
 橋の中ほどで、神職が鴨川からくみ上げた水に浸した榊を神輿に向けて数回振ると、見物客らがしずくを浴びようと神輿を取り囲みます。  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 12:50Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2012年06月28日

夏越祓と水無月



 6月30日は「水無月」を食べる日。
 これは、「夏越祓(なごしのはらえ)」という行事に関係があります。「夏越祓」は「水無月の祓い」とも呼ばれ、1年のちょうど折り返しにあたる6月30日にこの半年の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願する神事です。
「水無月」とは白の外郎(ういろう)生地に小豆をのせた、三角形の菓子ですが、其々に意味がこめられています。
 小豆の色は魔除けの色、白色は清浄無垢、三角形は暑気を払う氷を表すのだとか。
 旧暦6月1日は「氷の節句」または「氷の朔日」といわれ、室町時代には幕府や宮中で年中行事とされていました。御所では「氷室(ひむろ)」の氷を取り寄せ、氷を口にして暑気を払いました。最高の贅沢でもありました。
 氷の解け具合によってその年の豊凶を占ったとも、氷室の氷を口にすると夏痩せしないと信じられ、臣下にも氷片が振舞われたともいわれています。
「氷室」とは冬の氷を夏まで保存しておく涼しい場所のことです。京都の北山には「氷室」という名の場所(衣笠山麓)があり、宮中に氷が献上されました。今でもその氷室の跡が残されています。
 しかし、冷凍庫などない昔、庶民にとっては夏の水でさえとても貴重で、ましてや氷など手に入りません。そこは、京童たちの智慧、変わりに氷をかたどった菓子を作って無病息災を祈り、涼を楽しむようになりました。これが水無月なんです。
                          http://www.sasayaiori.com/  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 16:19Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2012年05月21日

三船祭



 「三船祭」は平安貴族の船遊びを再現した車折神社の神事です。20日、嵐山・渡月橋の上流で、色鮮やかに装飾された約20隻の船上で舞楽が奉納されました。
 新緑の嵐山を背景に、大堰(おおい)川の流れに乗って、御座船、雅楽を奏でる竜頭船や、茶を献上する鷁首船(げきすせん)などが次々と出船、平安装束をまとった男女が乗船し、舞や小唄を披露しました。
 大堰川の船遊びは平安期の宇多上皇の御幸が始まりと言われ、今日では毎年5月第3日曜日に行われています。
 奉納行事の一つとして行われる扇流しの行事は、室町時代、足利将軍が嵐山近くの天龍寺へ参詣の際、お供の童子が扇を誤って川に落したところ、扇が川面を流れる優美な様に将軍が喜悦に及んだところから、以後天龍寺参詣の度毎にお供の人々が競って扇を川に流したという故事に拠ります。



  また、藤原家摂関政治の頃、藤原道長が大堰川に詩、和歌、管弦の三船を浮かべ、其々の船にその道の堪能者を乗せて、雅を競わせるという風雅な遊びを行いました。和歌、詩歌、管弦といずれにも秀でた藤原公任が三船のどの船に乗るか迷った末に和歌の船に乗り込みました。「朝まだき嵐の山の寒ければ紅葉の錦着ぬ人ぞなき」と詠み、喝采を浴びたのですが、当の本人は「詩の船に乗り漢詩をつくればもっと名声があがったのにと」と言ったのだとか。
 後に、どの道にも才能がある人のことを「三舟の才」と呼び、当時の貴族の理想とされたといいます。

  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 12:39Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2012年02月19日

嵐山の雪景色

 昨日は嵐山も雪景色でした。(小)





  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 17:53Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2012年02月15日

ろう梅が咲き始めましたね!

 
 北野天満宮の蝋梅です。名前に梅がついているので誤解されやすいのですが、実は梅とは別属なんです。唐梅とも呼ばれ、中国名も蝋梅で、花が蝋細工のようなことから、この名前が付いたという説もあります。

 京聯自動車(株)の新しいホームページを開設しました。観光案内や京の話題もたくさん載ってます。ぜひご覧ください。

 http://www.kyoren-cab.jp/  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 08:59Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2012年02月04日

節分にお化け現る



 節分お化け(せつぶんおばけ)ってご存知ですか。節分の夜の厄除けとして、江戸時代ころからか、花街などを中心に行われてきた京の儀式です
 節分の夜に、老婆が少女の髪型である桃割にしたり、逆に少女が成人女性の髪型である島田に髪を結ったりします。このため「オバケ」とは「お化髪」が語源であるという説もあります。また異装のまま、寺社へ詣でて新年の平穏を祈ることも行われてきました。今で言う「仮装行列」の先駆けですね。
 異装を行うのは、違う年齢や違う性など「普段と違う姿」をすることによって、節分の夜に出るとされる鬼をやり過ごすためなのだとか。
 今でも、祇園などの花街で行われている他、千本三条から堀川三条の商店街では、毎年、この時期、オバケの行列を行なっています。  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 11:00Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2012年01月16日

小豆粥で初春を祝う会

 小豆粥で初春を祝う会  妙心寺塔頭 東林院 

 小豆粥は新年に食すると、一年中の邪気を払い万病を除くと平安の昔から伝えられている新春の優雅な風習で、東林院に精進料理の一つとして伝えられています。会では、梅湯茶札で梅湯と祝い菓子をいただいたあと別室で生飯(さばとり)と呼ばれ、読経のなか小豆粥を少量とりわけ境内の木々にお供えし、衆生への施しの心を培う禅寺の食事作法にもとづいて食事をいただきます。小豆粥、精進料理、無病息災・家内安全の御守り(大般若札)が授与され希望者には千両の庭で取れた千両の種がお年玉としていただけます。
    2012/1/15(日)小正月~1/31(火) 11:00~15:00
           京都市右京区花園妙心寺町59

  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 18:00Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2012年01月03日

あけましておめでとうございます

 

 初詣は伏見稲荷大社に行きました。夜中の三時半でもすごい人でしたね。ここがベストショットかな。ところで伏見稲荷は「病弘法、欲稲荷」ということわざがあるように商売の神様と言われています。病気のことなら弘法大師、金儲けのことならお稲荷さんにという意味 ですね。実は、稲荷の語源は稲が成る(稲成)から来ていて、元々は五穀豊穣を願う農耕の神様でした。ですから今でも田植え神事などが引き継がれています。後に米が商取り引きの中心になり、石高で流通価値を表すようになっていった経過から、商売繁盛の神としても崇められていくようになったんですね。まあでも若いカップルが多いこと、多いこと!色んな意味でうらやまし~い(ほ)  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 00:00Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2012年01月01日

錦市場 堀川ごんぼといもぼうの話

 

 錦市場 堀川ごんぼといもぼうの話
 かつて秀吉の聚楽第が壊された時、その残骸は何年もほったらかしにされていました。お堀にごもく(ごみ)がどんどん捨てられて、そこから生えてきたのが、この堀川ごんぼだったといいます。土とごんぼをとってきて上の方の畑に植え変えたのだそうです。ごみといっても現在のようなポリ容器やビニールはないのだから、自然の有機農法といったところですね。大きなもので長さ一メートル、幅十センチにもなったといいます。
  またいもぼう(棒鱈と海老芋を煮込んだもの)は、安永年間に平野屋・いもぼう・の先祖である平野権太夫さんが仕えていた青蓮院宮が、長崎の芋を持ち帰ったそうで、預かって、土寄せをして丁寧に育てると、海老のような模様と形の芋が採れたそうです。その青蓮院宮が・海老芋・と名付けたのが始まりです。粘り気があり、型くずれせず栄養価も高いので精進料理などで重宝されています。  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 00:00Comments(0)京の歳時記・あたりまえ