2012年05月28日
私の一押しわらび餅
とろ~り、つるるん、ふにゃあ~っと。わらびもちのおいしい季節です。私のおすすめは亀屋博永さん。あの祇園石段下の亀屋清永さんで40年修行した堀江さんがのれん分けのお店。特製和三盆糖入の本わらび餅は信州特産のわらび粉と沖縄特産の黒砂糖波照間、畑の肉円波黒豆大豆を特殊焙煎し、きな粉を使用した本わらび餅。うまい!
わらび粉は、植物のワラビからとるデンプンです。ワラビの根から、取り出したデンプンを乾燥させるとワラビ粉になります。ワラビ粉は、葛粉よりも、弾力があります。また、加熱すると、非常に黒に近い色になるのが特徴です。足利時代の点心としてのわらび餅は、上質なお茶席の上生菓子として京の都を中心に発展してきました。本来のワラビ餅は、形は丸く餡が入っているのが特徴なのだとか。
今でも祇園などで昔の形で売っているところもあるようです。四角い今日のワラビ餅は、東京のくず餅から、変化したものだとか。今でも蕨粉(わらびこな)は高級品ですが、江戸時代も庶民には高嶺の花で、蕨の入らないものが「わらび餅」といって売られ、世間に浸透していきます。
その後、競争に勝つため、蕨粉を若干使用するお店が登場します。それが本わらび餅という名称になり、大人気となりました。それより、京都のワラビ餅といえば、四角いものと知られるようになったと申します。昔ながらの本当の蕨餅の影が薄れていくばかりでもありますが、しかし今日では、質のよいワラビ由来の創意工夫されたワラビ餅がございます。リーズナブルなお値段であの食感が味わえる。これもまた新しい京都の味でございます。
亀屋博永 京都市上京区油小路通下長者町下ル大黒町38
2012年05月24日
2012年05月24日
伏見稲荷大社のおみくじ変わってる?
おみくじのといえば,「大吉,中吉,小吉,吉,末吉,凶,小凶,大凶」あたりが一般的、あと「半吉、末小吉、半凶、末凶」といったところでしょうか。
ところが,伏見稲荷のおみくじはそれとは違ってかなりレア物と言えそうです。「大大吉」をはじめ、「吉凶相交末吉」「凶後吉」など、「ええんか悪いんかどっちやねん」と思わず突っ込みを入れたくなります。
大大吉
大吉を超えるラッキーおみくじです。1番から32番までのうち2本だけが大大吉です。
凶後吉
「苦労があるが良い結果が期待できる」あるいは「困難なようでも意外な良い結果が得られる」
吉凶相交末吉 (きちきょうあいまじわりすえきち)
「基本的には吉だが、誠心誠意つくさないと凶に転じますよ」という意味です。
吉凶未分末大吉(よしあし 未だ分からず 末大吉)
努力次第で結果大吉になる可能性あり。
吉凶不分末吉 (きちきょうわかたずすえきち)
あまりに功を急ぎすぎる兆候があり。せいてはことを仕損じる。順を追って気長に努力せよ。
吉凶相半 吉とも凶ともどちらともいえません。
吉凶相央 名のとうり吉と凶の間です。 世の中をあまり甘く見すぎて、他人にうとんぜられる兆候があり、自己反省と万事に慎みが肝要といった具合。
おみくじは、結果が良かったら持ち帰り、悪かったら神社の境内に結びつけるとよくいわれますが、結果の良し悪しにかかわらず、持ち帰っても結び付けて行ってもいいのだとか。
境内に結ぶことで「神様とご縁を結ぶ」という意味があります。境内の樹木に結ぶと、木を痛めつける原因になるので、各神社に用意されている、おみくじを結ぶ場所に結ぶようにしましょう。(篠)
2012年05月23日
古の心、未来へ繋がれ
今井半念珠
京都には千六百を超える寺院や各宗派の総本山があるとも言われています。さらに古くから最も身近な仏具、法具として使われてきた念珠つまり数珠の生産量は全国の9割を占めています。
数珠は、煩悩の数と同じ108個の珠を繋いだものが基本とされていますが、その形状は、長さ、色や素材、大きさ、房の形と実に多様です。
念珠一筋四百有余年、今井半念珠店は、かつての紀州、和歌山県で、天正年間に、豊臣秀吉によって根来寺が焼き討ちにあった際、根来寺の僧兵だった先祖・桝屋伊兵衛が、京に逃れた玄侑僧正に従って京都に移り、門前で「念珠師 伊兵衛」として念珠を作るようになったのが始まりです。
創業以来変わらず、智積院のほか、東寺、醍醐寺、真言宗各派、各宗派総本山、御用達として務めている老舗です。
今井念珠店では、二十数年前から「念珠ブレスレット体験教室」を開いておられます。
念珠作りの技と心を受け継ぎ、二十一代目となる今井裕史さんは「数珠は仏事に欠かせない。でも、まだまだ持っておられない方も多い。数珠(念珠)に触れるきっかけとして、玉の材料である天然石などに触れていただいたり、アクセサリーとして身に着けていただき、数珠のことをもっと身近に知ってほしいんです」と穏やかな京言葉で語ります。
この日も、町屋のお二階で「うわっ綺麗」「お前いくつ作った」とわいわいがやがやと生徒さんたち。
女性観光客や修学旅行生に大人気で、多い月は200人以上のお客さんが訪れるといいます。
遠い昔に生まれた念珠に込められた思いが、京の職人たちから受け継がれ、若い世代に丸い輪で繋がれていく、素晴らしい連鎖に感歎するのは私だけでしょうか。(篠)
http://www.kyoren-cab.jp/
2012年05月21日
三船祭
「三船祭」は平安貴族の船遊びを再現した車折神社の神事です。20日、嵐山・渡月橋の上流で、色鮮やかに装飾された約20隻の船上で舞楽が奉納されました。
新緑の嵐山を背景に、大堰(おおい)川の流れに乗って、御座船、雅楽を奏でる竜頭船や、茶を献上する鷁首船(げきすせん)などが次々と出船、平安装束をまとった男女が乗船し、舞や小唄を披露しました。
大堰川の船遊びは平安期の宇多上皇の御幸が始まりと言われ、今日では毎年5月第3日曜日に行われています。
奉納行事の一つとして行われる扇流しの行事は、室町時代、足利将軍が嵐山近くの天龍寺へ参詣の際、お供の童子が扇を誤って川に落したところ、扇が川面を流れる優美な様に将軍が喜悦に及んだところから、以後天龍寺参詣の度毎にお供の人々が競って扇を川に流したという故事に拠ります。
また、藤原家摂関政治の頃、藤原道長が大堰川に詩、和歌、管弦の三船を浮かべ、其々の船にその道の堪能者を乗せて、雅を競わせるという風雅な遊びを行いました。和歌、詩歌、管弦といずれにも秀でた藤原公任が三船のどの船に乗るか迷った末に和歌の船に乗り込みました。「朝まだき嵐の山の寒ければ紅葉の錦着ぬ人ぞなき」と詠み、喝采を浴びたのですが、当の本人は「詩の船に乗り漢詩をつくればもっと名声があがったのにと」と言ったのだとか。
後に、どの道にも才能がある人のことを「三舟の才」と呼び、当時の貴族の理想とされたといいます。
2012年05月21日
2012年05月14日
2012年05月09日
修学旅行がやってきた!
いよいよ修学旅行シーズンに突入しました。京聯ジャンボもフル出動、中型、小型のお供も大忙しです。
春は東日本の生徒さんたちが多いよう。中学生さんを中心に、小学校、高校の生徒さんたちもタクシー観光をご利用になられます。
金閣寺、銀閣寺、三十三間堂、清水寺、伏見稲荷大社などの定番から、やっぱ受験生さんも多いので北野天満宮、二条城に竜安寺、宇治平等院、東寺、ドラマのロケ地として有名な仁和寺なども人気です。
最近は通なところで、竜馬とお龍さんの縁結びの武信神社や清盛の若一神社などに行かれる生徒さんも。
それにしても、みんな、若い、若い、元気だわあ。よっこらせっと。生徒さんたちの素敵な思い出作りの一助になれたらなの思い出老体に鞭打って頑張っています。