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Posted by 京つう運営事務局 at

2015年05月28日

妖怪アプリ登場

 妖怪アプリ登場!
 一条通りにある大将軍商店街は、平安時代の京都で起こったとされる百鬼夜行(多くの異形の鬼・妖怪たちが夜中に徒党を組んで行進する現象)の通り道だったとされることから、各店舗ではかわいい妖怪たちが出迎えてくれます。
 大徳寺真珠庵所蔵の『百鬼夜行絵巻』では、古道具が変化した妖怪「付喪神(つくもがみ)」が主役になっています。陽気で滑稽で愛らしい姿が描かれています。
 昔は、煤(すす)払いと称して、年の暮れに屋内の煤やほこりを払い、不要になった道具類を廃棄しましたね(現代の年末大掃除)。
『付喪神絵巻』によると、煤払いには、手持ちの古道具が付喪神に変化する前に手放すという目的もあったそうです。
 その廃棄された古道具を神社仏閣で転売し始めたのが、京都で有名な東寺や北野天満宮の古道具市の起源であったとも言われています。
 さて、これまでも妖怪ストリートとして、妖怪アートフリマ・もののけ市や妖怪オブジェコンテストなどなど、様々なイベントや企画で商店街を盛り上げてきた振興組合が、今度は、なんと妖怪カメラなるスマフォ用のアプリを開発しました。
 噂を聞きつけ、早速行ってみました。これ、実に愉快、いや妖怪、まあいいや、おもしろいです。商店街内のあちこちでスマフォを翳すと次々に可愛い妖怪たちが登場します。
 大型店舗の進出ラッシュの中でも、元気にがんばっている商店街を絶対、応援したい篠ちゃんでした。





  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 10:57Comments(0)京の街角

2015年05月22日

御土居の青もみじ

 北野天満宮で史跡御土居の青もみじが公開されています。
 御土居とは、安土桃山時代、豊臣秀吉が、あいつぐ戦乱で荒れ果てた京都を復興するために行ったと言われる、聚楽第、寺町の形成、天正の地割などの京都大改造、その一環として、まずは洛中洛外を定めるべく、諸大名に命じ、京都の周りを土塁で囲んだのが始まりです。鴨川などの反乱を防ぐ意味もありました。その一部がいくつか残っていて、国の史跡に指定されています。
 北野天満宮の御土居は、かつての紙透き川である紙屋川に沿って、最も広い範囲で残されています。一帯にはおよそ250本、樹齢350年から400年にもなる、もみじがあり、秋の紅葉の時期には色鮮やかな風貌を楽しむ事が出来ます。新緑の時期もまた格別です。この時期の御土居の公開は今年が初めてとなります。(篠)


  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 10:54Comments(0)京の四季

2015年05月22日

新緑の草庵

 奥嵯峨の竹林の中にひっそりとした佇まい、祇王寺の新緑がまばゆいばかりの風景を醸し出しています。青もみじと敷き詰められた苔のコントラスト、これだけの庭は他では見られません。
 祇王寺は、京通の間では、平家物語に登場する悲恋の尼寺として、世の女性たちにも人気の草庵です。
物語は、数年前の大河ドラマでは描かれませんでしたが、「平家物語」に収められている逸話です。
平安末期、平家全盛のころ、京の都で評判の祇王・祇女という白拍子がいました。白拍子とは、今様(流行歌)の踊り手のこと。平清盛は姉の祇王を見染め寵愛しましたので、妹の祇女も世にもてはやされ、母の刀自も立派な家屋に住まわせてもらえるようになり一家は富み栄えます。
 ところが、数年後、仏御前という若い白拍子が「舞をみてほしい」と言って清盛の前に現れるのです。最初は「追い返せ」と会おうとしなかった清盛でしたが、「ご覧になられては」との祇王の勧めにより舞を躍らせます。
皮肉なことに、その後、清盛は仏御前に心変わりをしてしまいます。そして、ついには、仏御前を寵愛するあまり、祇王を都から追い出してしましました。
 悲しみにくれる祇王と、妹の祇女と母の刀自が隠棲した地、往生院のあったところが、この祇王寺です。のちには、仏御前もまた、「私の罪を許してください。もし許されるなら、一緒に念仏を唱えて極楽浄土の同じ蓮の上に生まれましょう」と祇王を追いかけ、この寺で出家しました。その後、四人は仲良く、念仏三昧の生涯を送ったのだとか。
 さて、ここまでは、一般的なお話、やはり少しこだわってみましょうか。
物語では清盛と周りの平家一門が随分と極悪非道の傲慢な人物として描かれています。現代でも、清盛のイメージは良くないようです。しかし、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、奢れるものは久しからず」で始まる「平家物語」は、作者不詳ですが、源氏の世の中になったのち、おそらくは源氏側の有識者によって書かれ、琵琶法師によって、各地に伝えられたと言われています。
最近の研究では、平清盛と平家については、階層にこだわらず交易に目を向けた点など、再評価がされてきています。やはり時の為政者にとって都合の悪い歴史は書き換えられているということでしょうか。ですからこの悲恋物語もまた、そのまま鵜呑みにするわけにはいかないのかもしれませんね!
 本堂にある仏壇には、本尊大日如来、祇王、祇女、母刀自、仏御前、そして平清盛の木像が安置されています。祗王、祇女の像は鎌倉末期の作で、作者は不詳ですが目が水晶で鎌倉時代の特徴をよく表しています。(篠)



  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 10:37Comments(0)京の四季