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2014年07月22日

復活 大船鉾

やっと!嬉しい!
  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 13:59Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2014年07月16日

祇園祭




現在は、美術工芸品で装飾された重要有形民俗文化財の山鉾が公道を巡るため、動く美術館とも例えられる祇園祭ですが、本来は、平城京、長岡京と続いた都に渦巻く怨霊の仕業を鎮めるために、牛頭天王を祀り開かれた祇園御霊会が始まりです。
 当時は、天子の治世の問題や政争で無念の内に没した人々の怨霊が、流行する疫病の原因と思われていたんですね。特に大水害により挫折した長岡京遷都工事中に起きた藤原種継暗殺事件で無実を訴えながら亡くなった早良親王らの影響が大きかったと言います。
 祭礼を取り仕切るようになる八坂神社も、もとは祇園社と称しました。祭礼もまた、明治維新による神仏分離令で「祇園御霊会」から「祇園祭」に変更されました。
 京都祇園社の祭神の牛頭天王もまた、「織田信長が天下一統目前となったころ、信仰していたと言われる牛頭天王を祭神に変えた社が多かったので、牛頭天王は、実は古来からの祭神ではなかったんだ」といいがかりをつけられ、権現類と並んで徹底的に弾圧されました。
 天台宗の感神院祇園社は廃寺に追い込まれ、八坂神社に強制的に改組されたんですね。
 全国の牛頭天王を祀る祇園社、天王社も、素戔嗚(スサノオ)を祭神とする神社として強制的に再編されたました。




 さて、その牛頭天王ですが、「祇園牛頭天王御縁起」では……、
 本地仏は東方浄瑠璃界の教主薬師如来で、須弥山中腹にある「豊饒国」の武答天王の一人息子として姿を現した。三尺の牛頭をもち、赤い角もあった。
 王位を継承して牛頭天王を名乗り、后をむかえようとするものの、面容の怖ろしさのために近寄ろうとする女人さえいない。牛頭天王は酒びたりの毎日を送るようになる。
 ある時、一羽の鳩の導きで大海に住む沙竭羅龍王の娘のもとへ案内される。
旅の途中、長者である弟の古単将来に宿所を求めたが、古単はこれを断った。それに対し、貧乏な兄の蘇民将来は歓待して宿を貸し、粟飯をふるまった。蘇民の親切に感じ入った牛頭天王は、願いごとがすべてかなう牛玉を蘇民にさずけ、蘇民は富貴の人となった。
 龍宮へ赴いた牛頭天王は、美しい婆利采女を娶り、八年を過ごすあいだに七男一女をもうけた。豊饒国への帰路、牛頭天王は八万四千の眷属をさしむけ、古単への復讐を図った。古端の一族、僧兵たちは、ことごとく蹴り殺されたが、古単の妻だけを蘇民将来の娘であるために助命して、「茅の輪をつくって、赤絹の房を下げ、『蘇民将来之子孫なり』との護符を付ければ末代までも災難を逃れることができる」と除災の法を教示したと記されています……。
 祇園祭の粽にある「蘇民将来之子孫也」には深い意味があるようです。もっとも諸説あります。牛頭天王も一説には新羅の神ではないかとの説もあるようですね。






  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 09:09Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2014年06月09日

アジサイ寺 蓮の寺 花の寺 三室戸寺

 四季おりおりの花が楽しめると評判の三室戸寺大庭園は、なんと五千坪、この寺が『花の寺』と称される所以です。 六月には50種・10000株の柏葉アジサイ、西洋アジサイ、幻の紫陽花・七段花、額あじさいが咲き乱れ、『あじさい寺』とも呼ばれています。6月下旬より8月上旬にかけて、今度は本堂前の『蓮園』に、大賀ハス、古代バスなど250鉢の色とりどりの蓮が咲き乱れ、さながらそ極楽浄土のようです。『蓮の寺』とも言われます。

 写真は小丸社員





  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 13:54Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2014年05月12日

かきつばた

 太田神社でカキツバタの群生が鮮やかに色づいてます。(小丸) 
 神山や 大田の沢の かきつばた ふかきたのみは 色にみゆらむ (藤原俊成) 神山(上賀茂神社の降臨山)の近くにある大田神社のかきつばたに、ふかく願いを託する色(恋)は、かきつばたの色のようになんと美しく可憐であろうか)








  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 12:27Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2014年01月10日

出世恵比寿

 
 
 粟田神社出世恵比寿

 今ではひっそりとしていますが、かつて粟田口は京の都と各地とを結ぶ玄関口として賑わいました。出世恵比寿は、古くは三条蹴上にあったのですが、室町時代に土砂崩れがあり、その土砂が止まった夷町(三条神宮道)に移された後、青蓮院の塔頭金蔵寺に移され鎮守社とされていました。明治時代の廃仏毀釈により、金蔵寺が廃寺となり、出世恵比寿神社は粟田神社境内に移され、摂社とされて現在に至ります。
金売り吉次の手引きで奥州へ旅立つ遮那王(後の源義経)がこの社に旅の安全と「源氏再興」を祈願し、後に出世し大活躍したことから出世恵比寿神社の名があるといいます。その後、多くの人々が旅の無事を祈ったことから、旅行守護の神様としても崇められるようになりました。 
恵比寿祭りの期間に限り、手には大きな鯛と釣竿を持った、日本最古の寄木造りの恵比寿神像が公開されていました。伝教大師(最澄)の作と伝わります。
 ところで神社に行くと、たぶんアルバイトだろうなと思いつつ、ついつい巫女さんにカメラが向くのは私だけでしょうか。








  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 13:14Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2013年08月29日

京都伏見の水紀行

 

 京都伏見といえばやはり、名水とそこから生まれるおいしいお酒の街といえますね!まずは最もポピュラーな光景から。

 十石舟は、江戸時代から明治末期にかけ、伏見と大阪を往来し、酒や米を運搬した木造舟です。伏見観光協会が98年秋に復活させました。月桂冠大倉記念館裏弁天橋のたもとから20分ごとに出航し、宇治川派流にうっすらと映る白壁酒蔵等の水面の上を静かに進みます。伏見港公園近くで折り返し、三栖閘門資料館を見学した後、再び弁天橋へ。川面に垂れた柳並木を眺めながら、ゆったりと往復3キロ、約55分の舟旅です。
 三栖閘門は、京都市近郊で軍需拡張を目的とした …… 続きは京聯HPで、http://www.kyoren-cab.jp/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E8%A6%B3%E5%85%89%E2%85%A1/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E3%81%AE%E6%B0%B4%E7%B4%80%E8%A1%8C/  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 08:38Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2013年08月11日

お精霊さんをお迎え

六道珍皇寺の精霊迎えの迎え鐘とお参りの風景です。(上さん)



  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 08:28Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2013年06月13日

紫陽花



 三室戸寺の紫陽花 まだ一色ですが綺麗に色づいています。雨が少なくてかわいそう!(小丸)

  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 18:08Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2013年05月16日

葵祭





  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 15:40Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2013年05月07日

戦乱の跡地に咲く 一番あやめ

  日本のあやめ類の中で最も早く咲くことから、その名があるという「一初(いちはつ)」が、上御霊神社の境内で満開を迎えていました。



 上御霊神社のご祭神は「八所御霊」といって、崇道天皇(早良親王。光仁天皇の皇子)、井上大皇后(光仁天皇の皇后)、他戸親王(光仁天皇の皇子)、藤原大夫人(藤原吉子、桓武天皇皇子伊予親王の母)、橘大夫(橘逸勢)、文大夫(文屋宮田麿)、火雷神(菅原道真か)、吉備大臣(吉備真備)の八柱を奉っています。



 いずれも朝廷内の皇位継承などに関わる政争に巻き込まれて憤死した人々で、御霊神社は、その怨霊を慰めるために創建されたのです。当時の人々は、疫病や天災が続いたりすると、朝廷や為政者の政が悪く、その政争によって追われた人たちが、怨霊となって禍をもたらしていると考えていました。
 怨霊を鎮めるため、御霊会などの鎮魂の祭りをやったり、没して後でも官位や諡号を追贈したり、その人のために神社や寺を建立したりしたのです。実は京都は怨霊鎮魂の寺社仏閣だらけです。祇園祭も御霊会が始まりですね。
 また上御霊神社といえば、応仁の乱の発端「御霊合戦」があった地としても知られます。失脚した管領の畠山政長と畠山義就との私闘が神社境内の森で行われました。以後、室町幕府八代将軍足利義政の将軍後継問題も絡んで、京の街を焦土と化す戦乱が11年間続いたのです。今では貴重な文化財になったであろう建築物もこの時にほとんどが焼け落ちました。
 5月18日に催される御霊祭は、京都でも最も古い祭りといわれ、約400年前に後陽成天皇御寄進の御牛車や御神輿3基なども、平安時代の装束に身を包んだ氏子たちによって渡御します。境内には17日と18日の2日間、露店も出て賑わいます。  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 08:33Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2013年04月15日

京の春の風物詩



 松尾大社 山吹まつり
松尾大社の数千株の山吹の群生が、境内を流れる一ノ井川を黄金色に染めています。
水車や橋と重なり合った風景が圧巻です。松尾大社では、「山吹まつり」としていろんな行事が行われます。
日 時:2013年4月10日(水)~5月5日(日)
ライトアップ5月3日(金)18:00~21:00
料 金:庭園・神像館拝観500円、ライトアップ500円(境内無料)
「お問い合わせ:松尾大社」
TEL:075-871-5016
URL:http://www.matsunoo.or.jp/


(写真 小丸)  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 18:03Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2013年03月03日

平安雅鮮やかに ひいなまつり



 市比売神社で「ひいなまつり」がありました。「ひな」は「小さくてかわいらしいもの」の意で、「ひな」の古語が「ひいな」なのだそうです。身代り信仰で、古代より人形(ひとがた)が人間の身代わりに厄を引き受けてくれると考えられてきたことに由来します。
 上巳の節句(桃の節句)の厄払いに、はじめは「流しびな」、そのうち「雛遊び」が盛んになり、やがて「雛人形」を飾るようになります。娘の厄を受けるひな人形はその家の財力の象徴として華やかさを増してゆき、立派な雛人形を飾るようにとなっていきます。女の子が生まれると、親たちは娘にひな人形を与えて初節句を祝うことで、娘の身代わりに人形に厄を背負ってもらい、健やかな成長と幸せな人生を願いました。
 雛人形を自慢する「ひな合わせ」や、ご馳走を持って親戚を訪ねる「ひなの使い」、「ひなの国見せ」などが流行ったのだとか。



 ところでこの市比売神社さんは、「平安京創建後すぐに、京都の左右両市場の守護神として、左大臣藤原冬嗣が堀川の西に勧請した社で、天正年間、豊臣秀吉の京都大改造で現在地に移転された」という由緒ある神社なのですが、なんと今はマンションの一階が神社という珍しいお社です。祭神が全て女神であることから、女性の守り神とされてきました。



 ひいなまつりでは、貝合わせなどの平安時代の遊びや衣紋(衣冠・十二単)の着付け方法の紹介や、人が扮する人雛、五人囃子の雅楽、三人官女の舞など、雅やかな公家社会が再現されていました。



  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 18:26Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2013年02月03日

廬山寺の鬼法楽



 源氏物語の作者・紫式部の邸宅跡と伝わる廬山寺の追儺式鬼法楽が行われました。通称「鬼おどり」と呼ばれるこの行事、寺の開祖・元三大師良源が修行を邪魔した三鬼を三鈷で退散させた故事にちなんでいます。
 太鼓と法螺貝の音を合図に、松明と宝剣を持った赤、大斧をかついだ青、大槌をさげた黒の鬼が次々に登場。 色は「貪欲」、「怒り」、「愚痴」とそれぞれ人間の煩悩の象徴を表すのだとか。
 鬼たちは修法を妨げるため、踊りながら堂内に乱入しますが、僧侶たちの護摩の法力や法弓、 福娘の撒く蓬莱豆や福餅の力に追いつめられて退散するという物語絵巻。何といっても、鬼たちの踊りがユニークで面白い。



 それにしてもすごい人でした。退散した鬼たちも境内では観衆に揉まれて大人気。初めは怖がって泣き喚く子供たちもいましたが、最後はにっこり一緒に記念撮影。一年の無病息災を祈ります。 
 こちらで撒かれる豆は蓬莱豆といい、紅白の砂糖衣で大豆を固めた珍しいもの。 紅白一粒ずつ食べると寿命が延び、福餅を食べると開運出世するといいます。
 ところで元三大師良源をご存知ですか。比叡山延暦寺中興の祖と言われ、天台座主にまでなられた高僧です。この方、わが国におけるおみくじの元祖(元三大師百籤)としても著名なんです。

  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 18:46Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2013年02月02日

珍しく暖かい節分前日



 壬生狂言で有名な壬生寺さん。今日から節分会がありました。お題も「節分」という鬼退治の様子を演じる狂言が奉納される他、ほうらくの奉納も有名です。
 奉納されたほうらくは、4月に行われる春の大念仏会まで保管され、壬生狂言の演目の一つ、「ほうらく割り」で舞台から落とされ割れることによって厄除けになるというもの。ちなみにこのほうらく、一応土鍋の一種ということでお料理にも使えたりして、ごまめをパリっと炒るのに良いのです。



 吉田神社の境内は多くの露店と厄除祈願やくちなし色の御神札を求める参拝者の人波で埋め尽されていました。 約800店の露店が立ち並びます。 
 追儺式は本宮に於いて行われ、俗に「鬼やらい」と呼ばれ親しまれています。平安朝の初期より毎年宮中にて執行されていたものを、古式に則って厳修に伝承・継承されており、古の趣を現在に伝える数少ない神事の一つといえます。平安京鎮護の神として、また全国の神を祀る社として、鬼すなわち悪神を追い払い諸人の不幸を除いて、人々の幸福と平和な生活を願います。(上坂)  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 17:13Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2013年01月30日

国立博物館ならではの迫力の宝物群 初公開の名品も必見!

 十二天像のうち毘沙門天 (京都国立博物館所蔵)

特別展観  国宝 十二天像と密教法会の世界

承和元年(834)、空海は、仁明天皇の許しを得て、後七日御修法を始めました。正月七日まで行われる宮中節会の後に引き続いて七日間行われるため、この名があります。宮中に真言院という専用の道場を置き、天皇の安泰と国家の鎮護を祈る修法で、真言宗単独で行われました。その後、一時的な中断はありましたが、現在でも場所を東寺の灌頂院に移し、勅使の臨行をあおいで連綿と続けられています。
 当館には、大治二年(1127)に後七日御修法のため新調された十二天像が完全セットで所蔵されています。今回、この国宝 十二天像を一堂に展示し、関連遺品をまじえて後七日御修法を紹介します。
 また、当館のもう一つの名品、国宝 山水屏風は、灌頂という密教の教えを伝える重要な儀式で十二天屏風と共に用いられてきました。他の遺品とあわせて灌頂の歴史も紹介します。これら真言宗の二大重要法会を軸に深遠な密教文化の一端に触れて頂ければと存じます。

 十二天屏風のうち(神護寺所蔵)

特 集 陳 列  成立八〇〇年記念 方丈記

「ゆく河のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず(原文、漢字片仮名交じり)」で始まる『方丈記』は、鴨長明(1155?―1216)が建暦二年(1212)三月に執筆したもので、わが国を代表する随筆として知られており、本年(2012)には成立八百年という大きな節目を迎えました。この『方丈記』は、世の中の無常を表現したことで有名ではありますが、京の都を襲った五大災厄なども回想しており、近年ことに災害史のうえからも注目を集めている随筆でもあります。
 歌人でもある鴨長明は、下鴨神社(賀茂御祖神社)の正禰宜惣官、長継の子。建仁元年(1201)四十七歳の時に和歌所の寄人となりましたが、五十歳の時に出家して大原に籠り、のち日野の外山に移り、方丈の庵を結んで隠棲し、著作に従いました。
 今回の展示では、自筆本という伝承がある最古の写本、大福光寺本(重文)を中心に、関連する資料および同時代の漢字片仮名交じり文の書跡などを合わせて展示します。(京都国立博物館)

会  場 京都国立博物館 特別展示館 1~10室
     〒605-0931 京都市東山区茶屋町527
     http://www.kyohaku.go.jp/
     TEL 075-525-2473(テレホンサービス)
会  期 平成25(2013)年1月8日(火)~2月11日(月・祝)
休 館 日 月曜日
*ただし1月14日、2月11日は開館、1月15日は休館
観 覧 料 一般     1,000円(800円) *( )は団体20名以上
大学・高校生 700円(500円) 
中学・小学生  無料    
*本料金で特別展観「国宝 十二天像と密教法会の世界」及び特集陳列  成立八〇〇年記念「方丈記」をご覧いただけます。
開館時間 午前9時30分~午後6時(毎週金曜日は午後8時まで)
※入館は閉館の30分前まで

***平常展示館は、建替え工事のため閉館しております***
  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 15:28Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2013年01月24日

天神さんで蝋梅咲き始めています。

 

   今年初めての修学旅行で北野天満宮にきています!梅はまだかなと見てみると『蝋梅』が見事に咲いてました。
 普通の梅はまだつぼみ状態でした!今年は10日位遅れているそうです。(くにさん)  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 09:02Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2013年01月22日

牛に引かれて善光寺参り 実は京都でもできるんです!



 京都東山の華頂山麓にたたずむ得浄明院は、「牛に引かれて善光寺まいり」で有名な、あの信州の善光寺の別院でもある尼寺です。
 信州善光寺大本願第117世誓圓尼公(伏見宮邦家親王第3王女)がこの寺を開山した明治初期には、まだ中央線がなく、信州までお参りするのはなかなか大変なことであった為、関西の近くで善光寺如来さまのご縁を結ばせたいとの思いから建立を思い立ったと言われます。
 本尊仏は、信州善光寺の一光三尊阿弥陀如来の分身とされています。
 得浄明院では、信州善光寺同様に戒檀巡りができるようになっています。戒壇めぐりとはご本尊の阿弥陀如来様が安置してあるその下を、闇の中で自分を見つめ直しながら巡り、あみだ様と深いご縁を結ぶこと。信心がある人はあみだ様と結ばれている錠前を探り当てる事ができ、願い事を一つだけ掛けることができます。



 地下への階段を降りてわらじを履き、中はほんとに10センチ先も見えないほどの真っ暗闇の中を壁に添わせた手のみで恐る恐る巡り、無事錠前に触れることができた時は感動しました。 
 今回の特別公開では、阿弥陀如来がいる極楽浄土の様子を表現した観経曼荼羅や日本人の自然観を黒塗りの盆上に表現し床飾りとした「盆石」の数々も展示されています。 
 五月になると手入れされた松の庭に、「一初」が他のアヤメに先駆けて花開き初夏のおとずれを告げてくれる花の寺でもあります。  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 17:14Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2013年01月22日

門跡尼寺が特別公開



 新町今出川の交差点を上ルと、同志社大学新町校舎の向かいに、ひっそりと佇むのが、浄土宗知恩院派の門跡尼寺「三時知恩寺」です。
 室町時代に、北朝の崇光天皇の御所「入江殿」を、次代の後光厳天皇の皇女・見子(けんし)内親王が下賜された経過から「入江御所」と呼ばれます。見子内親王は仏教に崇敬が深く、宮中に安置された唐から招来の善導大師像を賜って本尊として祀りました。
 のちに後柏原天皇が宮中で行う、唐僧の善導大師が記した「往生礼讃偈」に基づいて1日を6つに分け、読経や念仏、礼拝を行う「六時勤行(ろくじごんぎょう)」の昼夜六時勤行のうち昼の三時は、この寺にて修するように定められたので三時知恩寺と改められました。
 皇室ゆかりの由緒ある門跡寺院で、通常非公開ですが、今回「京都の冬の旅」で特別公開されています。
 現在の入母屋造檜葺きの本堂や書院をはじめとした建物は、江戸時代の末期に、第百十六代桃園天皇の皇女・恭礼門院の旧殿を賜って再建されたものです。
 本堂には本尊阿弥陀如来像、側に宋から請来したという善導大師像が安置され、書院前には枯山水庭園「蓬莱の庭」があります。



 また、京都市指定文化財の狩野永納筆の「花鳥風屏風」、丸山応挙の書院襖絵「えり漁図」、皇室ゆかりの御所人形やまた今回初めて、江戸元禄期以前のものとされる涅槃図も公開されています。  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 17:09Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2013年01月06日

今年の恵方は南南東!



 明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします、大晦日に神泉苑に行きました、10時30分から法要が始まりました、そらから来年の恵方に恵方社をうごかされました、今年の恵方は南南東です。(永味)
  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 20:35Comments(0)京の歳時記・あたりまえ

2012年10月26日

古都の時代絵巻鮮やかに



10月22日、快晴で真夏日よりの中、時代祭が行われました。明治、幕末、江戸時代、戦国、室町時代、平安時代と其々の装束に身を包んだ艶やかな人々が京都御所を出発。御池どおりから三条、平安神宮へとねり歩きました。
 京都の三大祭りの中で、其々の時代衣装が観覧できるので私は、この祭りが大好きです。







  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 17:44Comments(0)京の歳時記・あたりまえ