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2012年10月10日

祇園祭の先駆け・粟田祭

祇園祭の先駆け・粟田祭

 粟田祭(粟田神社大祭)

 粟田神社の主祭神は、スサノオノミコト・オオナムチノミコトです。古来より厄除け・病除けの神と崇敬されています。
 京都の東の出入口である粟田口に鎮座するので、東山道・東海道を行き来する人々が道中の無事を感謝して参拝したことから、いつしか旅立ち守護・旅行安全の神として知られるようになりました。
 粟田祭は粟田神社で10月に行われる祭礼行事です。一千年の歴史を持ち、祭には神輿に先行して剣鉾が巡行します。剣鉾は祇園祭の山鉾の原形と云われており、 室町時代には祇園会が行われない際は粟田祭をもって御霊会としたと伝えられています。
 一説には奈良朝より活躍した粟田氏の氏神として創建された社とも云いいます。
 体育の日前日の「出御祭(おいでまつり)」「夜渡り神事」、体育の日の「神幸祭(しんこうさい)」「還幸祭」、そして15日の「例大祭」までの神事・行事を総称して粟田祭(粟田神社大祭)と呼んでいます。

祇園祭の先駆け・粟田祭

 粟田大燈呂
 平成20年の夜渡り神事に「粟田大燈呂」が復興しました。この大燈呂とは文字通り大きな灯篭の山車のこと。戦国の世に公卿の山科言継卿が書き綴った『言継卿記』には、「粟田口の風流が吉田へ罷り向かうということを聞きましたので、夕方に吉田へ罷り向かいました。大きな灯呂が二十あり、その大きさはおよそ二間(3.6メートル)四方もあり、前代未聞のことで大変驚いた」(訳粟田神社)とあります。
 この灯篭の出し物がどのようなものであったかは分かりませんが、京都造形芸術大学の協力もあり、時代に則した形で復興することになったといいます。

祇園祭の先駆け・粟田祭

 神幸祭
 神幸祭とは神様が氏子区域を巡行され、氏子にお力をお与えになる神事です。神幸祭には、剣鉾が鉾差しによって五〜六基差され、神輿が氏子町内を渡御しています。
 剣鉾とは祭礼の神輿渡御の先導を勤め、神様のお渡りになる道筋を祓い清め、悪霊を鎮める祭具です。剣先は真鍮の鋼で造られ、額には御神号や神社名・年号などが記されています。
 氏子区域には現在18基計44本の剣鉾があり、京都で最も多くの剣鉾が備えられています。剣鉾は講中(鉾仲間)又は町中(鉾町)で守護されており、現在もその形式は変らなく守られています。

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Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 22:07│Comments(0)京の歳時記・あたりまえ
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