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Posted by 京つう運営事務局 at

2012年03月31日

さあ、桜の季節ですよ!

  ようやっと桜が先始めましたね。東福寺交番前、宇多野病院、二条公園など、早咲きの河津桜などが見頃です。
  四条有栖川でも綺麗に咲いた桜を見つけました。(哲)

  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 08:42Comments(0)京の街角

2012年03月29日

平清盛なう!

 つっついに近畿運輸局よりの認可がおりました。京聯自動車プロデュース 平清盛なう! 京都一格安で充実の内容 ルート別格安運賃認可の特別コースです。お申し込みは 京聯自動車営業部 075-672-5111まで HPからも申し込めます。
 今年の大河ドラマ・平清盛の放送を記念して、京聯自動車では、平家物語ゆかりのお得なコースを用意しました。題して平清盛なう!ちょこっと訪ねる短いコースからじっくりこだわりのロングコースまで、ご都合にあわせてお選びください。
http://www.kyoren-cab.jp/


   

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 08:38Comments(0)京聯

2012年03月26日

絶世の美女の邸宅跡 梅が六分咲き

 

 誰もが知っていて、世界の美人ともされる小野小町の邸宅跡、醍醐随心院。、一千有余年もの間、人々を魅了し続けてきた小野小町。実在の小町がどのような女性だったのかは、大きな謎に包まれています。
 随心院には、百夜通いで有名な深草少将が小町に宛てたという恋文をはじめ、絶世の美女への恋文を埋めたという文塚や小町が使っていたという化粧井戸。
 小町百歳の像、畳を外せば一転して能舞台に変わる室などなど見どころがたくさんあります。
 この時期には、例年、小野梅園の梅が見頃を迎え、はねず踊りが行われます。ところが、今年は梅の開花が遅く、まだ六分咲き。はねず踊りは昨日行われたものの、梅園の公開期間も4月8日まで延期となりました。
 薄紅色のことを古くは「はねず」といい、 。特に隨心院門跡の紅梅は古くからこの名で親しまれていたといいます。
 それにしても、今年はあちこちで梅と桜を一緒に愛でるなんてことになるかもしれませんね!



  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 21:24Comments(0)京の街角

2012年03月23日

清凉寺

 清凉寺境内でも梅が満開でした。
 清凉寺は、嵯峨にある浄土宗の寺院で、山号を五台山と称します。嵯峨釈迦堂といった方が、みなさんご存知かもしれませんね。中世以来「融通念仏の道場」としても知られています。宗派は初め南都六宗のひとつの華厳宗、後に浄土宗となりました。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は奝然(ちょうねん)、開山(初代住職)はその弟子の盛算(じょうさん)です。
  この地にはもともと、嵯峨天皇の皇子・左大臣源融(みなもとのとおる)の別荘・栖霞観(せいかかん)がありました。源氏物語に光源氏が造営した「嵯峨のお堂」は、大覚寺の南に所在したとあり、栖霞観の場所と一致します。源融が紫式部『源氏物語』の主人公光源氏の実在モデルの一人といわれる所以です。



 浄土宗は通常は阿弥陀如来を本尊とするのですが、釈迦如来がご本尊なのにはいわれがあります。
 北インドの釈迦族の王として生まれたゴータマシッタルダは37歳で悟りを開き、お釈迦樣となったと言われます。その時古代インドの王様が栴檀(せんだん)の木で一体の生き写しの釈迦像を造らせました。その後、三世紀から四世紀に掛けて、インド仏教が衰退し、釈迦像は追われるようにシルクロードを通って中国長安に運ばれ、中国大陸を転々としました。
 北宋の時代、日本から中国に渡り、五台山(一名、清凉山)を巡礼した東大寺出身の僧・奝然(ちょうねん)がこの仏像に出会います。生き写しの仏像に魅入られた奝然は、この釈迦像を仏師に模刻させました。これが「三国伝来の釈迦像」です。
 奝然は、日本に帰国後、京都の愛宕山を中国の五台山に見立て、愛宕山麓にこの釈迦像を安置する寺を建立しようとしました。これは、「都の西北方にそびえる愛宕山麓の地に南都仏教の拠点となる清凉寺を建立することで、相対する都の東北方に位置する比叡山延暦寺と対抗しようとした」と言われています。しかし、その願いを達しないまま奝然は没します。遺志を継いだ弟子の盛算(じょうさん)が棲霞寺の境内に建立したのが、現在の五台山清凉寺なのです。



  一方、中国にあった本物の仏像の方は、その後行方がわからなくなってしまい、インドで造られたお釈迦様の像を直接模刻した像はこの清凉寺の像だけとなりました。
 通常の釈迦像との違いは、髪がらほつでなく、長い髪の毛を編んでぐるぐる巻いてあり、日本の袈裟と違って全身を衣で被っています。どちらかというとガンダーラの石仏に近いお姿ですね。
 さて、昭和の時代になって、この像の胎内からは、造像にまつわる文書、奝然の遺品、仏教版画などの「納入品」が発見されました。これらも像とともに国宝に指定されています。中でも「五臓六腑」(絹製の内臓の模型)は、世界最古の人体模型として、医学史の資料としても注目されています。



 境内には何故か豊臣秀頼の首塚があります。住職さんにお伺いすると、昭和55年に大阪城三の丸跡から豊臣秀頼の首と見られる頭蓋骨が発見され、秀頼ゆかりの嵯峨清涼寺では、首塚を造って納め、368年ぶりに安らかな眠りにつかせることになったといいます。この頭蓋骨は、20~25歳の若武者で、首に介錯の跡があり、左耳が不自由だったこと、発掘当時、頭蓋骨の周囲にシジミやタニシの生貝が敷かれ、人為的に埋葬されていること、出土品などから、大阪夏の陣と時期が合致し、豊臣秀頼の首と断定されたといいます。



 さて、この地は、平安時代に閻魔大王に仕えたとされる小野篁が六道珍皇寺の井戸から地獄に入り、出てきた場所とされる福生寺の跡地でもあり、生の六道と言われます。境内には福生寺跡の石碑があります。  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 10:03Comments(0)篠ちゃんの京都時空観光案内

2012年03月19日

寝台特急 日本海 ラストラン

 平成24年3月16日 京都駅
日本海のデビューは昭和43年10月1日です。以来43年間、大阪〜青森を結んできました。
 修学旅行のシーズンになるとかなりの乗車率となりました。京都からでる定期寝台(ブルートレイン)がなくなったのは、とてもさびしいです。 運管 小西





  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 23:07Comments(0)京の街角

2012年03月17日

時雨殿リニューアルオープン

  

 天龍寺の時雨殿がリニューアルオープンしました。
 藤原定家は『新古今和歌集』、『新勅撰和歌集』を撰進。小倉百人一首を編纂した人です。『小倉百人一首』は、古代から鎌倉時代までの百人の歌人の歌を一人一首ずつ撰び、色紙に書いたのが起こりです。その後、手が加えられ現在伝わる『小倉百人一首』の形となったのだといいます。



 定家は小倉山のふもとの「小倉山荘」で百首の和歌を撰びました。
 小倉山荘は「嵯峨山荘」とも呼ばれ、後世、「時雨亭(しぐれてい)」と呼ばれるようになります。さて、その時雨亭跡がどこにあったのか。伝承地は厭離庵、常寂光寺、二尊院の三ヶ所が候補にあがっています。
 時雨殿は、百人一首の多様な世界を体感できるミュージアムとしてリニューアルオープンしました。
 Ⅰ階の常設展示スペースでは、百人一首の世界を「見て」「感じて」「学ぶ」をテーマに資料や100体の歌仙人形、歌詠みのシーンを再現するジオラマなどを展示。



 Ⅱ階の平安時代の調度品を再現した体験スペースでは平安装束着付け体験、記念撮影を通して平安時代の雰囲気を体感できるスペースも作られています。



        http://www.shigureden.or.jp/

http://www.kyoren-cab.jp/
  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 22:06Comments(0)京の街角

2012年03月14日

城南宮の梅満開

 

 まあ凄い人と車だったわ。車で行くもんじゃないわ!神苑内ではしだれ梅が満開となっています。
 城南宮は、平安遷都の際に、国土の安泰と都の守護を願って、王城(都)の南に祀られたお宮であることから、城南宮と称えられます。鳥羽の地は、平安京の表玄関に当たる交通の要衝であり、また鴨川と桂川に臨む景勝地でもありました。
 やがて貴族の別荘が立ち並び、平安時代末期には白河上皇が壮大な離宮(城南離宮、鳥羽離宮)を造営して院政を始めた地でもあります。白河・鳥羽・後白河・後鳥羽上皇と150年にわたり政治・文化の中心となり副都心の賑わいを見せたといいます。(哲)

  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 15:25Comments(0)京の街角

2012年03月12日

鳳凰の話



金閣や銀閣の天辺に据えられた鳳凰(ほうおう)は、西方浄土に住むとされる中国の伝説上の霊鳥で、羽ある生物の王であり、不老不死、再生の象徴とされています。
日本では一般に、背丈が四〜五尺、前は麟、後は鹿、頸は蛇、背は亀、頷(あご)は燕、くちばしは鶏、尾は魚が描かれます。五色絢爛、羽には五色の紋があり、声は五音を発するとされています。
 この鳳凰、実は鳳(ほう)が雄で、凰(おう)が雌なんですね。本来は宇治平等院のように、左右、雄雌一対で鳳凰なんです。白鳳や大鳳などというのも、お相撲さんが男だからなんだとか。
 少し脱線すると、三国志にでてくる臥竜鳳雛で、臥竜とは伏している竜、鳳雛とは鳳凰の雛のこと。軍師龐統が男であったので鳳雛なのですが、例えられた諸葛亮孔明も龐統もまだ誰にも仕官していなかったところから来た故事なんですね。
 陰陽道では南の方角の守護神・朱雀(すざく)と同一とされています。また言うまでもありませんが、手塚治虫さんの漫画「火の鳥」そのものです。
 ところで、修学旅行の案内をしていても、生徒さんたちはこの鳳凰をよく知っています。実はこの鳳凰、子供たちに大人気のゲーム、アニメのポケットモンスターでは、最も捉えることが難しい最強で伝説のポケモンとして登場するのだそうですよ!
 さあ修学旅行シーズン到来です。今年の生徒さんたちはどんな方々でしょうか。楽しみです。

http://www.kyoren-cab.jp/
  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 15:16Comments(0)篠ちゃんの京都時空観光案内

2012年03月09日

御所号を持つ尼門跡 春の人形展

 宝鏡寺門跡

 宝鏡寺門跡は、中世に臨済宗の格式である五山の制にならって、尼寺に設けられた京都尼五山の第一位、景愛寺の法灯を今に受け継ぐ寺です。
 景愛寺第六世の光厳天皇皇女華林宮惠厳(かりんのみやえごん)禅尼が、伊勢の二見浦にて漁網に掛かった聖観世音菩薩を祀り上げたことにより宝鏡寺を開山し、後光厳天皇より宝鏡寺の号を賜りました。
 尼門跡(出家した皇女や摂関家の息女などが住する特定の寺院)として、その後多くの皇女が歴代となり、百々御所(どどのごしょ)という御所号も授かることとなります。
 宝鏡寺では皇女方が入寺されていたことから御所より人形が贈られ、孝明天皇遺愛の人形をはじめ、由緒ある人形を数多く保存されておられます。


 宝鏡寺門跡樣よりご提供いただきました。

 秋には、人形供養祭も営まれ、武者小路実篤の歌碑とともに、御所人形の彫り込まれた愛らしい人形塚も建立されています。 
 そういった経緯から「人形の寺」とも呼ばれ、毎年春と秋に一般公開がされています。本堂にある狩野探幽の襖絵や書院の円山応震の襖絵、円山応挙の杉戸絵も同時に公開されます。
 仏堂には尼姿の日野富子像が安置されています。富子は、早々と政権を投げ捨て銀閣寺に隠棲した足利義政に代わって政治を差配し、将軍家の蓄財に励み、「天下一の金持ち」などと評されたりもします。
 一方で、応仁の乱の終息に尽力し、後には、朝廷の伝統行事復興に大金を投じたと言われています。


 宝鏡寺門跡様よりご提供いただきました。

 平成24年 宝鏡寺 春の人形展
 「皇女和宮とひいな~和宮御降嫁150年を記念して~」
・開催期間  平成24年3月1日(木)~4月3日(火)
・拝観時間  午前10時~午後4時閉門(受付は15:30まで)
・拝観料   大人600円 小人300円 ※団体割引あり
  人形の寺 宝鏡寺
 〒602-0072 京都市上京区寺之内通堀川東入ル百々町547
          TEL:075-451-1550

      http://www.kyoren-cab.jp/  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 10:25Comments(0)篠ちゃんの京都時空観光案内

2012年03月08日

鳥羽離宮なう!

  平安時代、平安京の南方の鳥羽の地には湖のごとく巨椋池が広がり、水鳥が群れる風光明媚な土地柄でした。この池畔に贅を尽くした離宮が造られ、御殿が建ち並び、当時栄華を誇った貴族の華やかな文化の舞台になっていたのです。
 大河ドラマでは伊東四朗さんが演じた白河上皇が洛南に造営を始めた鳥羽殿は、のちに三上博史さん演じる鳥羽上皇が引継ぎ、壮大な離宮として完成を見ました。
 この鳥羽離宮の東殿に保延3年(1137)に御堂が建てられました。これが安楽寿院です。開基以来860年となります。
 現在も阿弥陀堂に奉られる本尊の阿弥陀如来坐像は、円派の手による院政期の仏像として重要文化財となっています。
 豊臣秀頼によって復興された太師堂には、弘法大師像を本尊としてお祀りし、他に大日如来、薬師如来、聖観音、十一面観音、千手観音、地蔵菩薩、不動明王、歓喜天などがお祀りされています。
 三如来石仏は凝灰岩でできた平安時代の貴重な石仏で、釈迦、弥陀、薬師三尊の三面が江戸時代に出土したと伝えられています。弥陀三尊像は現在、京都国立博物館にあります。昔はこの石仏の体を削って水で練り、子供の顔に塗るとくさが直るという信仰があったといいますので、あちこち損傷しているのはそのせいでしょうか。



安楽寿院の西側には鳥羽天皇陵があり、法華堂が建てられています。
 平安時代の後期、鳥羽法皇はここを自らの陵所に定めて三重塔を建てました。塔は今はなく、その後に現在の法華堂が建てられています。
 歌人西行法師は出家する前、北面の武士として鳥羽法皇に仕えていました。大河ドラマでは藤木直人さんが熱演していますね。法皇の葬送に参加し、三首の歌を読みました。
  『今宵こそ思い知るらめ浅からぬ 君に契りのある身なりけり』
  『道変わる御幸悲しき今宵かな 限りの旅と見るにつけても』
  『訪はばやと思ひ寄らでぞ嘆かまし 昔ながらの憂き身なりせば』
 かつて仕えた法皇の葬送が終り、誰もいなくなったあとも、西行法師は一人この御陵に残り、夜明けまで弔いを続けていたと伝承されています。



 ところで、法華堂の右横にある梅は、当時、僧侶たちが碁ばかりして修行を怠ったため、境内での碁を禁止して、碁盤を埋めその上に梅の木を植えて戒めにした、ということで「碁盤の梅」と呼ばれています。現在の梅はその何代目かの子孫なのだとか。
 安楽寿院の南側には近衛天皇陵があります。新御塔の方は、大河では松雪泰子さんが演じる鳥羽上皇の皇后・美福門院(藤原得子)の墓所に予定されていましたが、女院の遺言により遺骨は高野山に埋葬されたため、先に亡くなっていた息子の近衛天皇の遺骨が知足院から改葬されることになりました。これが現在の近衛天皇安楽壽院南陵になります。



http://www.kyoren-cab.jp/
  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 08:02Comments(0)篠ちゃんの京都時空観光案内

2012年03月05日

北野天満宮で梅が見頃を迎えています

 
 

 北野天満宮の境内で梅の花が見頃を迎えています。「 東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな 」平安時代の文化人菅原道真は、殊のほか梅を愛したと言います。北野天満宮は全国各地に菅公をお祀りする天満宮や天神社の宗祀であり、約2万坪の境内に50種約1,500本の縁の梅があります。
梅苑公開・開苑期間~ 3月下旬まで
午前10時から午後4時まで 大人 600円
(中学生以上)小人 300円
30名以上1割引 (但し25日・土・日曜・祝日を除く) 
身体障害者割引 大人300円・小人150円   いずれも茶菓子付



  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 15:36Comments(0)京の街角

2012年03月01日

京の街中で企業さんも風情を



 京都駅前のヨドバシカメラビルには、周りを囲うステンドガラスに京の寺社や祇園祭などの風情が伺えます。平等院や貴船神社、竜安寺の石庭、五重の塔もありますよ。ビルをぐるりと回って見ると中々楽しいですよ。



  

Posted by 京聯自動車観光部 篠田ほつう at 22:09Comments(0)京の街角